NEWガイアの夜明けで紹介された、クラウドファンディングを活用して新規事業を立ち上げるためのスクール「zenschool(ゼンスクール)」 22期新規募集(残席1名)

草子ing(予告編):ナイトペイジャー

モノづくりから、場所づくり、町づくりへ。「下町ボブスレー」が目指すゴール

 映画「クール・ランニング」は、およそウインタースポーツに縁のないジャマイカの青年たちが冬季オリンピックのボブスレー競技に出場する顛末記。1988年カルガリー・オリンピックでの実話を元にした面白い作品だ。実話なのだけれど、陽気なジャマイカンと「ボブスレー」というミスマッチ感が何ともコミカルな印象を漂わせる。

 では、「下町」と「ボブスレー」はどうだろう? これまた、賑やかな楽しげな雰囲気を醸し出すのではないか?

人情、夢、根性といった少年マンガのキーワードにも繋がりそうな予感・・・。

けれど、果たしてそれだけなのか? ボブスレーはなぜ下町から生まれたのか? 各メディアも注目した実話の、実話の物語。

 

繋がる

「下町ボブスレー」の話の前に、プロジェクト立役者のひとりであるナイトペイジャー・横田信一郎さんの話を。

 ナイトペイジャーは東京・大田区にある金属加工品を中心に商品を開発しているパーツメーカーだ。ホームページを見れば、好きな人には垂涎もの、わからない人には何に使われるのかまったくわからないパーツの写真が並んでいる。しかし、用途を持つ部品というのは、なぜこんなに美しいのだろう。

 代表者の横田さんは、大田区町工場の2代目。工業高校の機械化を卒業後、父親が1966年に設立したカメラ部品を造る町工場に就職した。その後、自分で車のオリジナルパーツを造る部門会社「ナイトペイジャー」を設立するが、2009年、母体である父の町工場はリーマンショックのあおりを受け倒産してしまう。それでも地元の先輩の支援を受け、同年秋に新たに株式会社としてナイトペイジャーを設立した。

「下町ボブスレープロジェクト」で、横田さんは広報担当として奔走した。事実、これは横田さんが大田区の町工場を結びつけて実現したプロジェクトであり、横田さんなしでは実現しなかったと言っても過言ではない。

 さらに言うならば、4000からの町工場が集まる「モノづくり」の現状に対する、悶々とした違和感なしには実現しなかった、とも言えるかもしれない。

「大田区に図面を紙飛行機にして飛ばすと、部品になって返ってくる----そんな風に書いてある本を見て、なんていう表現をしているんだ、と。高度成長期ならともかく、ただ言われたことだけをやっていたら、5年先、10年先には完全に衰退産業だろうと・・・」

 知らない人から見れば、部品を加工する職人の技は、まるで魔法のように見えるかもしれない。すごい。素晴らしい。さすが日本の技術力は違う。けれどもそれだけのイメージに、そこに生まれ育ったからこその危機感を横田さんは持っていた。

「工場の人たちって、機械をPRしないし、しゃべらないし、見せ方もわからない。守秘義務もあるから、仕事を見せられないこともある。けれども、全然違う人たちと新しい化学反応を起こしていかないと、モノづくりはどんどん衰退の一途を辿る」

 実は、ボブスレーのプロジェクトにおいても、ある種の違和感を横田さんは覚えたという。それは取材にやってくるメディアが、1000分の何ミリかを削るところを撮りたがること。機械の前に張り付いている姿にライトが当てられる。確かに絵としては良い。けれど「その見せ方、もう古くない?」というのが横田さんだ。

「モノづくりも次の段階に進んでいかないと。でも、メディアの人も、裸電球の下で、職人が汗かきながらやっているのがいいわけです。クルクル回って削っているところがカッコイイ、みたいな。本当はもっとオートメーション化されているのに」

 古いイメージからの脱却。また、町工場=下請け、という構図からの脱却も必要と横田さんは考える。

「デザインを協力してくれる人や、モノづくりを手伝ってくれる人、新しい変化を起こしたい人たちが集まってクリエイティヴな町に持っていかないと。確実にわかっているのは、機械の前で単価の安い仕事をストイックにやることや技術力の必要性は、今後のモノづくりでさほど高くはないということ。必要なのはアイデア。アイデアを持つ人たちとの繋がりで新しい変化を起こすビジネスモデルを作らないといけないとずっと思っているんです」

 横田さんの会社ナイトペイジャーは、大手メーカーからの仕事を断り、自社製品を中心としたやり方にシフトした希有な工場でもある。大手の発注方法への疑問、またコストダウンの対象にされるだけの関係を続けることを潔しとせず、違う道を選んだことには相応のリスクも伴った。けれども、父親の会社で、大手企業にぶら下がっているままでは、いつかモノづくりがおかしくなるという恐怖感もあり、少しでも現金で商売できるようにと始めたパーツ造りをベースに独自の道を選んだ。

 今は販路も自分で開拓している。求めるものと繋ぐブリッジパーソン的な役目を果たす人もなかなかいない。そんななか、たとえば、お花の先生や町の商店、映画制作者など、まったく異なる分野の相手とのコラボレーションに取り組んでいる。

 では、「下町ボブスレー」は、そもそもどのように始まったのだろうか。

「始まりは2011年、大地震の余震が続いているときに区役所の人から電話がかかってきて、ボブスレー作りたいんだけど話を聞いてくれないか、と。区内で乗り物の仕事をやっているところがないから、ぼくがいいんじゃないかということで相談が来たんです」

 大田区は「大田ブランド推進協議会」を発足し、区のモノづくりをブランド化する活動を行っている。そこで選ばれたのが、国産製がないというボブスレーだったのだ。

 話を聞いた横田さんは、先輩であり、同じバンドのメンバーでもあるマテリアル社の細貝氏に相談した。細貝氏は以前から町工場の技術をアピールすることについて考えており、モノづくりの人を集めた勉強会を独自に行うなど、リーダーシップのある人物だ。細貝氏を巻き込むことにより、町工場の2代目や3代目の経営陣が協力メンバーとなり、ボブスレー1号機に取り組むことになった。

「不安だったのは、大田区の工場でできる部分もあるけれども、すべてを丸投げされてしまうと自分たちでできるのか。図面もないなか、図面を描けないメンバーでどうするの?と」

 材料としては、20年ほど前の橇が国内にただ1台、仙台大学にあるだけ。それを徹底的に分解して採寸し、こうしたほうが良いだろうと考えながら、1号機の製作が開始された。

 また、オリンピック4大会に連続出場した選手がたまたま大田区の蒲田に住んでいたことから、その人の意見も組み入れながら製作は進んだ。それでも、見様見真似、用語もわからないという感じだったという。

 当初、横田さんはここまでこのプロジェクトに深入りする気持ちはなかった。しかし、完成のときを迎え、実際に「滑走をするところを見ちゃった」

「日本の置かれている実情も聞いてしまった。聞けば聞くほど、改善できることが出てきて、これは実機に力を入れれば、何とかなるんじゃないかという感覚に皆が変わっていきました」

 こうして「下町ボブスレー」は、100社以上の企業や団体が協力し合い、滑り始めた。手応えを感じながらも、横田さんは冷静に分析する。

「心配なのは、エンジニアの机上の意見によって、ぼくらが理想とする最新式の乗り物はできたけど、結果が出なかったら、それは悪い方向に向かっている可能性がある、ということ。ぼくらには歴史がないから、データの裏付けがとれていないんです。すべてが融合し、良いものを作り上げていくのは、まだまだ何十年も先のことなのかもしれないですね」

 トータルでのイノベーションには時間がかかる、と横田さんは言う。それでも「下町ボブスレー」には、町工場の人たちが日常的に行っていることが活かされている。ニッチを極めた技術の頼もしさ、そして杓子定規ではない即決の判断力などが、下町ならではの連帯感で手に入れられたことだ。それが海外の有名ブランドにも負けないものを作り出したのである。

 町工場がこれから一番やらなくてはならないことは何だろうか?

「町工場の人たちは、自分たちがどんな技術を持っているのかを、もっと外に説明をしていかなくてはいけない。そしてアイデアを持っている人たちと組んで、新しいものを作っていける環境づくりを、皆と力を併せてしなくてはならないと思っています。

 技術の説明という点では、極端な話、ぼくは機械で削るものがなくなったら、外国人の観光向けに工場見学をコーディネイトするようなことをやってもいいと思っているんです。モノづくりへの情熱がないと言われるかもしれないけれど、情熱は人一倍あるつもり」

「たとえば、若い人が新しいアイデアを持っていて、何かを作りたいといったら、コストやいろいろなことを考えて、この人にこれを、あの人にこの部分を、と結びつけるようなこともいい。このプロジェクトをやるなら、あの人とあの人とあの人を、と声を掛けてコーディネイトするのも、ひとつのモノづくりではないかと思う。「下町ボブスレー」はまさにそういったもののひとつ。180点もの部品、多数の企業の技術を繋げて、連携して、大企業にはない力を発揮できた。その核になる部分が大田区にはあるんです」

 モノづくりというよりは、そうしたメンバーが集まっている「町づくり」。そこは羽田空港から10分という立地にあり、なおかつ、職人の町としての知見と経験がある。それらを活かし、若者たちとも繋いでいく。

「町づくりというか、場所づくりをして、そこで化学変化を起こしていくことが、今後の理想のモノづくり」と横田さんは語る。工場の2階で開いた機械を説明するワークショップには、教育関係者や音楽家、映像作家、学生などさまざまな人が参加した。町工場の変化を少しずつ感じているという。

TEXT:Chimari.S

(※書籍発刊時、加筆・修正が入る可能性がありますのでご了承ください)

 

story一覧