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第181回MMS(2019/5/27収録)「内観や心理学の手法を用いてホントの自分自身に気づきを得る実践的な学びに取組む」前編 青山の手塚千鶴子さん

●ご挨拶と出演者紹介

 三木:マインドフルマニュファクチャリングストリーミング第181回ということで、今日は青山の手塚さんをお迎えして色々なことを伺っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

手塚:はい。こちらこそよろしくお願いします。

 

●三木さんとの出会いについて

三木:手塚さんと私が最初にお会いしたのが、たぶん今年に入ってから西川(啓)さんという方が企画いただいたバルネラビリティ研究会というものに参加した時に、たまたま横で一緒のグループになって、そこでのお話も非常に面白かったですし、様々な活動をされてることを知って、私も3月に逗子のワークショップに参加させていただいたり、そこで内観をさせていただいて、その翌日に母に会いに行ったという(笑)。

手塚:お花を(持って)。

三木:そうですね。

 

●これまでの活動について

 三木:手塚さんの今までやってらっしゃったことを簡単にご紹介いただいてもよろしいでしょうか?

手塚:その前に自分のライフヒストリーですけど、私は戦後に満州で生まれまして、戦争で負けて無事に帰って来れるかどうか分からなかったようで、母は私をお腹にいて中絶を考えたらしいんです。同じように妊娠してらっしゃるご近所の奥様と一緒に産婦人科に行って中絶しようと思って、先生が色んな手術の機器をキレイにしたりしてる時に母は思い直してくれまして、1人兄が1年前に生まれてましたので、「この子だけ1人満州に残すのはかわいそうだ」って言って、それでようやく生まれてきましたので、自分の人生を考える時に、そういうエピソードは中学生ぐらいになってから聞いたと思うんですけど、友達なんかは「お母さんにそんなこと言われたら頭にきちゃうわ」って言われたんですけど、私はむしろその話を聞いて、亡くなる命だったのにそうやってこの世に生まれてこられたっていうのはすごくうれしいですし、感謝っていう気持ちで、そういうことが自分のこれまでの人生の中で、ある意味でポジティブな意味合いを持っていて、せっかくこうやって生んでもらった命を、大事にやっていきたい気持ちがずっと自分の人生に影響を与えてるのかなと思います。その母はすごく日本人としては“はっちゃかめっちゃか”なところがありまして、戦争中愛国人会とかそういう隣組でそれぞれお互い監視し合ってるようなのがありましたよね?うちの母は結婚して戦争中満州に行ったんですけど、結婚する前戦争の暮らしに嫌気がさして、友達と何人かで家でジャズをガンガン鳴らしてすき焼きパーティーをやるような母だったんですね。

宇都宮:すごい先進的な。

手塚:はい。それでその母から生まれた割には、私は3人兄弟の真ん中なんですけど、非常に優等生で冒険はしないしおとなしくて、兄はやんちゃで色々悪さをするのでそういうことはしてはいけないみたいに感じてたんです。だから自分の思春期を考えると反抗期が全然なかったんです。

三木:あ、そう?全然?

手塚:ええ。それですごく単純に自分は良いお嫁さんになるのが自分の幸せかなと。大学にはちゃんと行って勉強もしたんですけど、そう思ってプリンスチャーミング(白馬の王子様)を何とかゲットしようと思って、恋愛は苦手だったので何ともおとなしい今考えるとぼーっとしてた子だったと思うんです。

三木:大学では何を?

手塚:大学では英文学というか地域研究だったんですけど、その中でイギリスの文学で『ロード・ジム』(ジョセフ・コンラッド作)っていうイギリスの青年が東南アジアに冒険を夢見て行くっていうちょっと変わった小説で、それを卒業論文でやったんですけど、一応英語は勉強しましたと。でも当時私の友達でキャリアを目指して頑張ってる女子学生もいたんですけど、私はもうお嫁さんになるのがいいかなと思って、自分で相手を見つけられなかったものですからお見合いをこの指に余るくらい致しました。ところが好きになると断られるんです。それで「いいですね」って言ってくださるとこっちが気が向かないっていうことで、それで卒業して8年経って30歳の時にようやっと「あ、これはちょっと自分はおかしいな」と。相手にばかり求めていたので、「これはちょっと違ったかもしれない」って初めてその時に気がついて、それでその前からカウンセリングの勉強を民間の研究会みたいなところでやったんですけど、「こうなると結婚もできずに独り身でこれからの人生過ごすことになるかもしれない。何か身に付けなくっちゃ」と思って、それで30歳の時に大学院に入り直して。

 三木:僕も28歳で。

手塚:同じようなものです。

三木:その時は心理学でしたっけ?

手塚:教育心理学のほうに入り直して、でもやってるうちにカウンセリングっていうのは海外から輸入されたものがほとんどだったんです。ロジャーズとか精神分析もそうですし、色んなものがほとんど西洋からで、まだ今のように臨床心理学とかカウンセリングの立派なプログラムがどこの大学にもなかったんです。それでアメリカのミネソタ大学のほうに35歳で、父には「お前は自分の歳をいくつだと思ってるんだ!」って。

三木:でもよく両親がそれを許していただいたというか…

手塚:母が「宝石とか衣裳とかお金で買えるものはなくしたり色んなことがあるけど、教育は自分が身に付けたら奪われることはないからいいんじゃないの?」って目を三角にして怒った父を説得してくれまして。

三木:35歳から博士号を取るまで何年ぐらい?

手塚:5年かかってます。そこで自分の甘えにアメリカに行って、甘えさせてくれない文化ですよね。自立、自尊の文化でいかに自分は甘えてるかっていうことに気がつかされて、それで甘えの研究をしようとしたんです。

三木:博士論文は甘えの?

手塚:論文は甘えについてだったんです。

三木:甘えっていうのはアメリカではどう捉えられてますか?

手塚:当時土居健郎先生が『甘えの構造』っていうのを書かれて、それが英語に訳された時に『anatomy of dependence』=『依存の解剖学』『依存の構造』みたいに訳されたためにdependenceって言われたんですけど、実際にはそれとは違うもので、もっと依存と自立と対立するようなものじゃなくて、大人になっても健康に甘え、甘えられる関係っていうのは大事なんだっていうことを許容する文化だと、日本の場合は思うんです。

三木:日本の場合は。その論文はアメリカで出されたわけですよね?

手塚:その大学に出しましたけど。

三木:評価というか、アメリカ社会の中でそういう…

手塚:行ったのが80年で日本は高度経済成長の時期でしたので、割合甘えっていうことに対して、甘えが許容されない文化の中で色んなものを感じてらっしゃる方とか、それからアメリカ文化を再検討しよう、多文化の人の意見に耳を傾けようって人がその大学は結構いたので、最初は「何でお前は大人なのに甘えなんて子供っぽい概念を取り上げるのか?」って指導教授に…

三木:指導教官の方のお考えは少し違う感じ?

手塚:もっと依存っていうネガティブな面で見てたので、私はそれに対して甘えすぎたり不健康な甘え、しがみついたりひねくれたり色々ありますよね。恨みにも転換しますから。「そういうものではない、お互いが人間関係を絆をベースにして甘え、甘えられる関係を大事にするっていう考え方もあるんだよ」っていうことを言いたかったんです。それはアメリカ人に理解しやすいようにソーシャルサポートという概念に乗っけてやったりしたので、「あ、そういうこともあるかな」ってなりました。

三木:それで学位を取られて三田のほうに戻られて?

手塚:カウンセリングの授業の実習を留学生相談センター(International Student Advisors' Office)で留学生のカウンセリングをやったんですけど、その場を提供してくださった方が「日本の色んな大学にこういう日本から来てる学生がPh.D.を終えて帰ろうとしてるから」って言って就職口がどっかから出てくるように手紙を書いてくださったんです。それがたまたま大学の国際交流担当の留学生相談センターの事務長をしてる方のところに行ったので…

三木:それでうまく…?

手塚:当時大学の中でもかなり留学生の数が増えてくる…

三木:85年ぐらいですか?

手塚:帰って来たのは80年だったと思います。それで大学のほうで国際教育交流担当の事務と留学生のカウンセリングと、それから留学生が日本で元気にやっていけるような、日本での異文化適応を支援するような授業とこの3つをやるっていうことで三田のほうでしばらくやって。その後湘南藤沢のほうに今度英語のインテンシブの授業をする人がほしいっていうことでそちらに通算6年いたのかな?

三木:藤沢にですか?

手塚:藤沢のほうに。それでまた三田のほうに帰って来て最後までずっといまして、湘南藤沢に行く時に職員ではなく教員ということになりましたので、帰って来た時も教員で、主にカウンセリング担当と留学生と今度は日本人学生が一緒に交流し合って、日本人も今は結構若い人はあちこち行きますけど、交流の場がなかったのでそういう交流をして、留学生も日本人と知り合って良い友情関係を持っていただいて、なおかつ三木さんも海外に行ったりするとお感じになると思うんですけど、自分と違う感じ方とか考え方とか価値観とか行動とかに出会うと自分を振り返りますよね。甘えさせてもらえないっていうカルチャーショックから甘えの研究に入ったんですけど、そういう多文化とか異文化に出会うことによってお互い自分に気がついたり、自文化に気がついたり、それは場合によっては自文化の縛りに囚われなくてもっと自由に生きてもいいようなスペースって結構海外の人と出会ったりすると「あ、こういうこともあるかな」ってなるじゃないですか。そういう日本人学生にとっても留学生にとっても学べるようなそういう場をカウンセリングの場合もそれから授業の場合もやってたんです。でもその留学生相談センターっていうのは日本語の先生方が主で私1人だけだったんです。それが途中から日本語の先生方は日本語を教えるっていう自分達の職業的なアイデンティティを大事にしたいっていうことで、日本語・日本文化教育センターっていう風に改組されたんです。そうすると同じ学生を教育したりしてもそれはある種の異文化コミュニケーションでもあるんです。それで熊倉(敬聡)先生とか熊倉先生のお弟子さんの坂倉(杏介)さんとか何人か日吉の教養研究センターが立ち上がったんですけど、そこで「無機的な教育環境ではなく、もっと学生達が積極的に参加して、頭だけでなく心と体も全部使うような実験授業みたいなのをやりませんか?」みたいな。

 三木:それは何年ぐらいですか?2000年に入ってから?

手塚:それはたぶん2000年に入ってからだと思います。それで日吉の身体知の実験授業っていうのに加わって、そこで熊倉先生は座禅のお坊さんを連れて来たり、座禅の授業をしたり、みんなでドラマを作ったりコラージュと連歌、朗読、ダンスムーヴメントを通しての表現など…

三木:いいですね。

手塚:私も一応お母さん役で授業に出たり、それも学生達がメインで脚本を作ったり面白いことを…

三木:授業はまだ続いてるんですか?

手塚:たぶん今も続いてるとは思いますけど、担当されてる先生も色々変わってらっしゃるし、熊倉先生もお出になられたので今どんな風になってるか分かりませんけど、たぶん何らかの形で続いてると思うんです。

三木:ずっと留学生のカウンセリングをされてたっていうお話があったと思うんですけど、時代の流れと共に学生達の悩みもたぶん少し変化してるんじゃないかなと思うんです。

手塚:そういう意味ではあまり変化はなかったと思います。

三木:どういう悩みが多いんですか?

手塚:まず留学してくるっていうことはちょっと自分を振り返ったり、自分探しで自分のバックグランドのあるところとか両親のもとを離れて、自分を知らない全然別の文化に行って生活したいっていう想いがあるので、基本にモラトリアムの心性があるのと、多くの場合親との間での葛藤とか、幼少期のちょっと変わってるユニークな子っていうことでいじめられたりとか、そういうある種の傷を抱えてるような…

三木:…方が多かった?

手塚:カウンセリングに来る方はね。カウンセリングに来ないでうまく日本人の学生達となじんだり、先生ともうまくいってやる人がほとんどですけど、カウンセリングに来る子っていうのはすでに日本に来る前に何か元になるような種を持ってるという…

三木:傷…心の何か。

手塚:傷を負ってみたいな、例えばある子なんかは全然ガールフレンドができなかったと。日本に行けば日本人の女の子に白人の男性はモテるっていう話を聞いて(笑)。

三木:彼は白人の男性だったんですね。

手塚:白人の男性だったんですけど、白人の男性でも彼の場合は元々非常にシャイだったんです。だからたぶん日本的なものに惹かれたんだと思うんですけど、日本にやって来てもモテない(笑)…

三木:っていう相談に乗ったわけですね。

手塚:そういう話はありました。それでそのうちに身体知の熊倉先生達の有志の教養研究センターのメンバーが中心になって「三田の家」っていうのが始まったんです。

三木:それをちょっと後半に伺っていきたいです。

後編に続きます。

手塚千鶴子さん
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