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第174回MMS(2019/1/4収録)「たった一人で月面ロボ(着陸機+探査車セット)を開発し作ってしまったエンジニア」前編 ㈱ダイモン 中島紳一郎さん

●ご挨拶と出演者紹介

 三木:2019年新年明けましておめでとうございます。本年もマイクロモノづくりストリーミングやっていきます。第174回、本日は株式会社ダイモンの中島さんが開発された月面探査車について色々と伺っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

中島:よろしくお願いします。

 

●中島さんの自己紹介、自動車会社ゼクセルのベルギー時代

中島:zenschool17期生の中島です。自己紹介を簡単にしますが、私は今52歳で会社を起業して8年目になります。会社の職種としては機械設計と開発、最近ではロボットクリエーターと自分で名乗っています。27年ずっと設計開発をサラリーマン時代も含めて続けて、今に至っています。私は3DCADの設計経験が25年で、3DCADが日本に上陸した時から使っていていまだに現役なので日本でたぶん一番長いです。

三木:すごいな。

宇都宮:CATIAとかですか?

中島:もうずっとNX。去年NXは高いのでミドルに変えました。

宇都宮:それでも高いんじゃないですか?

中島:ミドルも100万ですけどね。25年ぐらい使っていてもいまだにスキルが上がってて、去年できなかった設計が今年できるようになって、おっと思うことがあります。

三木:すごい。四半世紀ですからね。もう自分の手の一部が3DCADになっちゃったみたいな。

宇都宮:3DCAD職人。

中島:そこだけは職人チックになりましたね。

三木:最初入社されたのが自動車?

中島:はい。自動車の関連の企業でゼクセルという会社に入社しまして、埼玉にある田舎っぽさと、企業の規模が5,000人でちょうどいいサイズ感があったので入社したんですが、入って数年でベルギーの工場に出向をしちゃいまして。

三木:何年目ですか?

中島:3年目ぐらいです。

三木:いきなりベルギー。ベルギーって何語なんですか?

中島:ベルギーは3ヵ国語あって、ドイツ語、フランス語、オランダ語。私はフランス語の会社に。

三木:いきなりフランス語?

中島:そこは工場を閉鎖されるところでエンジニアが抜けちゃった後なので、さすがに1人ぐらいいないとねということで私が派遣されたんです。

 三木:フランス語はそれまでやったことはあったんですか?

中島:ないです。地獄ですね。私は最初に覚えたフランス語が“JE NE SAIS PAS(ジュヌセパ=私分かりません)”。逃げモードから入ってる(笑)。そこは100人のところで、畳もうとしているところに私が入って、実はそこでアウディのクワトロを発明・開発して今それで盛り上がっちゃったんです。

三木:クワトロの機構。盛り上がっちゃった?それが当たっちゃって。

中島:はい。車のエンジンが1つでタイヤが4つなので、1つのエンジンの力を4つに分配しないといけないので、分配する何か仕組みが必要なんです。

宇都宮:よくやりましたよね。メカ式で。

三木:フランス語をしゃべりながら?

中島:はい。時々ドイツに1人で行かされたりしながら。

三木:ドイツに何に行って来いって?

中島:技術的な説明とプロモーションと。

三木:ドイツでは何語をしゃべるんですか?

中島:「英語をしゃべってくれ」と言うんですけど、議論が熱くなってくるとみんなもうドイツ語でやりまくっちゃいますから。

三木:そこをどうやって乗り切ったんですか?

中島:そこは英語で。ただ会社の仕事の話って特にエンジニアの話だからそこは話はできるんです。最終的に数字とかグラフとかで示せるので話はできるんですが、一番辛かったのは仲良くなっちゃって「ちょっと今日飲みに行こうぜ」って飲みが辛かったです。

三木:訳が分かんないから?

中島:全く話ができないし、流暢な現地語でどんどんしゃべって、1人で2時間ぐらいじっとしてる。ただつまらなそうな顔をしてるといけないので、半分分かってるようなフリをしながらにこにこして。

三木:でもそれが一番勉強になるんじゃないですか?言葉の。

中島:全くスルーですよ?もうキャッチするっていうレベルじゃないです。ガヤガヤしてる中で。それがベルギーの時ですね。

三木:ベルギーのエンジニアとクアトロの部分を開発した発明者。

中島:はい。リストラでただ放っておけばなくなる会社だったので、私がちょっと変なことを設計して試作を作ったとしても誰もNOと言わなかったのが…

三木:だから採用されたみたいな?

中島:はい。私が最初行った時に新しいのを開発して、自分で図面を書いて自分で発注書を書いて、誰も何も審査なしでモノを作ってくれちゃうんです。

宇都宮:予算は?

中島:予算とか誰も感知する機能がなかったんです。たださすがに現地の社長に「ちょっともう1億円に手が届いてしまうよ」と。その辺で初めて私も結構使ってるなとは思ったんですが、誰も何も言わないのでいけるんじゃないかって。

三木:ガンガン試作しちゃったんですね。

中島:はい。彼らの現地の人の気持ちになれば、「ただ座していたって閉鎖されちゃうんだから、どうせお金余ったって日本に持って行かれちゃうんだから、だったら自分達の未来をかけてみようか」っていう気持ちもあったかもしれないです。社長も「これはもう将来これに懸けるしかないでしょ」って言ったら社長も「そうだな」。

三木:社長は日本人?

中島:現地の人です。

三木:「そうだな」って。「ウィウィ」って。

中島:お互い慣れない英語で会話し合うと。

三木:すごい熱い情熱を感じますね。エンジニアの魂が。どうやって採用に至ったんですか?

中島:最終的にはヨーロッパの自動車メーカーは車に付けて走ってみて感触良ければ50%ぐらい採用されるんです。アウディはフォルクスワーゲングループの中でも一番トップクラスのブランドですが、車作りは逆に泥臭くて、とにかく車に付けてみて走ってフィーリングで判断しようっていうやり方なんです。

三木:それで付けて評価が高かったんですね?

中島:付けて評価は良いのは自信があったんです。あとはそれをちゃんと量産させて品質を維持して。

宇都宮:量産が大変だよね。

三木:量産が大変。量産立ち上げもやったんですか?

中島:多少は関わりましたが、ただ自動車業界っていまだに特殊で、自動車ってだいたい4年後のことをリリース発表しちゃうんです。そうするとその期日って結構高いレベルの発表をしちゃうんですが、半分ぐらいできそうだけど半分ぐらいできないかもっていう状況で始まっちゃうんです。それってすごい話だなと。だから自動車メーカーもちょっとブレークスルーできるユニットがあれば色々試したいっていう活動があったので、新しいものを取りあえずは運転してみるっていう感じです。

 

●ボッシュから豊田工機、ジェイテクトの時代

 中島:ベルギー行ってる間に会社がボッシュに子会社化、要するに買収されまして。

宇都宮:外資系になったんですね?

中島:晴れて外資系、しかもドイツ。100人の会社にいたのがボッシュっていうと30万人。全く異風な文化に接しました。

三木:その買収された時はまだ開発中だったんですね?

中島:そうですね。フランス語をしゃべる工場とドイツですから元々合わないんです。その現地の「1億円使ってもいいぞ」って言ってくれた社長も変な骨がある人で、ボッシュという看板をなかなか会社に付けなかったというぐらい何かあるらしいです。その辺でちょっとごたごたが始まったなと思いつつ日本に戻って来たら、今度ボッシュから私の所属している事業が豊田工機に買収されました。だからバリバリのドメスティック。

三木:ボッシュから今度豊田工機に移った?

中島:超グローバルな企業と超ドメスティック企業。トヨタありきの豊田工機。それも2年ぐらいして慣れた頃に、今度は大阪にある光洋精工と合併してジェイテクトっていう会社になってしまったんです。関西の方はご存知ですが、ここも愛知と大阪は仲が合わないです。

宇都宮:ドイツとフランスみたいな。

中島:その日本版がここで始まってしまって、この辺でだいたい嫌気がさしてくるんです。

宇都宮:おいくつぐらい?その時。

中島:この辺で44ですね。もういいなっていうことで…

三木:震災が起こる。

中島:最終的に起業して今は1人の会社です。

 

●震災の日に大企業を辞めて起業したきっかけ

 三木:起業のきっかけをちょっと簡単に。

中島:起業のきっかけは私は開発畑で20年ずっとやってまして、チームの中のアイデア出しがなかなか難しいです。自分自身は何かアイデア出したり特許取ったりはできるんですが、チームとして出させないといけない管理職になってしまったので、みんなにアイデアを出させないといけないけどできないので、大田区の展示会で発電会議(https://www.facebook.com/hatsudenkaigi/)、脳内革命みたいな、アイデアを出せる脳みそにしようという副題で、これは行く価値があるなと思って。

三木:今のデザイン思考の先駆けみたいな感じですね。

中島:そうですね。それを聞きまして、enmonoにも縁のある(東新製作所)石原さんと名刺交換をして、その帰り道で3.11の大震災。

三木:帰り道で?

中島:帰り道です。電車の中でした。私はもうこれは来たなと思って、そこで辞職を決意しました。

三木:そこでいきなり?

中島:帰りながらですかね。歩いた拍子。

三木:歩いて帰ったんですね?降りて。

中島:歩いて帰りました。

宇都宮:でも埼玉ですよね?

中島:歩いて帰り切れはせずに青山大学で寄宿させてもらって、そこで「もう大変なことになってるよ」と。テレビもそこで初めて見たので、自分が思っている以上のことが起こってるので、もう自動車の開発をやっている場合じゃないなと思って辞めようと思いました。その足で僕会社に行かなかったんです。辞表は届けないといけないので、2週間ぐらい既定の限界の日に辞表を出しにだけ出社して。

三木:何て言われました?「はー」って?

中島:あまり記憶がないです。辞められたんだから強力に引き留めはなかったっていうことです。

 

●enmonoと月面探査チームHAKUTOとの出会いとzenschool受講

三木:そういう体験を通して辞められて、そこからどういうことを目指す?

中島:それでちょっと勢いで辞めちゃった手前、準備は不足してたんです。「さあ明日から何するか」っていう生計の立て方の準備がなかったので、発電会議の講演をした石原さんに相談したら「Facebookやりなよ」って言われまして。

三木:Facebook?

中島:はい。Facebookやったら当時石原さんもFacebookに友達があまりいなくて、石原さん、三木さん、宇都宮さんの3人ぐらいしかタイムラインに出てこなかったんです。「Facebookやってごらん」っていうことは三木さんと宇都宮さんを知ることになりましたので、それで今度は宇都宮さんと三木さんに連絡をしたんです。

三木:そうだ、何か来ましたよ。「こんにちは」みたいな。

宇都宮:「誰だっけ?」っていう感じでした。

中島:そしたら最初の返事は「基本的に会ってる人としか友達にならないので、電話だけとかメールだけの人はお断りしてるんです」っていう話で、その直後(2011/7/2)に福島発電会議(https://www.facebook.com/events/1024523850895971/)があるということもFacebookで知って、「そこに私参加しますからお友達になってください」って。

三木:貴重な機会でしたね。あれはまだ震災から1ヵ月ぐらい?

中島:まだ2ヵ月ぐらい。

三木:原発事故からかなり近い。よく行きましたね。我々も。

中島:私はもう会社も勢いで辞めちゃって何もないところで参加をして、参加してみると2、30人名刺交換なりFacebook友達交換して、そこで何となく2、30人にFacebook友達が増えたので、ちょっと何か形にはなってくる…

宇都宮:薄まりましたよね。僕らの情報だけじゃなくて。

中島:悲壮感がちょっと薄まるという感じです。Facebook見ても2、30人が出て来ると普通な感じになるじゃないですか。そこからまた2、3ヵ月後に三木さんから「月面探査やってるところがあるけどやらない?」って言われて、私その頃まだ無職でしたので、「あ、じゃあ、できますよ」。

三木:月面探査っていきなり言われても「はあ?」みたいな(笑)。

中島:他にやることもないっていう。

三木:それが今のispace、その当時はHAKUTOという名前もなかったです。

中島:ホワイトレーベルスペースジャパンです。

三木:そこで開発を予定していた月面探査車の車輪の設計を。

中島:筐体。メカ系全部。

三木:筐体も全部ご担当されたんですね。その後メキメキとそのプロジェクトは有名になり。

中島:そんな中で時期が来たので起業したっていう感じです。

宇都宮:2012年?

中島:2012年2月。ハローワークの期限を迎えて起業したという。

 三木:それでzenschoolに入られたんですよね?

中島:そうです。一昨年(2017年)。

宇都宮:何があったんですか?

中島:何もないですよ。

宇都宮:「(起業されて5年ぐらい経ったし)そろそろいかがですか?」みたいな感じですよね。

中島:「そろそろいかがですか?」って来たので、「ああ、そろそろだな」って。

宇都宮:何がそろそろなのか分かんないけど。

中島:確かにそろそろ。

 

●株式会社ダイモンの社名の由来について

三木:ダイモンのご紹介をお願いします。

宇都宮:ダイモンは善光寺ですもんね?

中島:はい。ダイモンっていう社名は善光寺の中で本来あるべき第一の門の大門(だいもん)がなかったので、じゃあ自分が大門を作ろうっていうことで大門にしました。社名の大門は善光寺の大門です。うちは善光寺の境内の敷地内に実家がある。

三木:今度行ってみよう。

中島:その中で元々旅館をやってたんですが、善光寺の境内の中で普通のサラリーマンをやってるのはうちぐらいしかないんです。

三木:何軒ぐらいなんですか?善光寺の中は。

中島:100軒ぐらい。

三木:そんなにあるんだ。

中島:ほぼ宿坊です。ちゃんとしたお寺も大きいお寺が2つあって。

後編に続きます。

中島紳一郎さん
https://www.facebook.com/nakajima.shinichiro

WEBSITE
http://dymon.co.jp/

 

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