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第128回MMS放送 「100年後も日本でバネを作り続けるためにバネの可能性を拡大するバネ屋魂」 【前編】五光発條株式会社 代表取締役 村井秀敏さん


●海外にも展開する「町工場」
enmono(三木)   はい、ということで第128回マイクロモノづくりストリーミング本日も始まりました。司会は株式会社enmono三木でございます。本日は五光発條さんにお邪魔しましてzenschool第4期卒業生の村井さんに色々お話を伺って参りたいと思います。
あといつもの声の出演で――。

enmono(宇都宮)   はい、宇都宮です。

enmono   村井さん本日はお忙しいところありがとうございます。

村井         いえ、こちらこそありがとうございます。よろしくお願いします。

enmono   村井さんはzenschool第4期――その時はマイクロモノづくり経営革新講座と言われていたものなんですけども、

村井         お世話になりました。

enmono   そこで生みだされたのが、今かぶっているバネを使った――。

村井         世界で大人気の。

enmono   世界で大人気のスプリンク(SpLink)なんですけども、まずは村井さんをご存じない方のために、簡単に自社でやられていることをご紹介いただいてもよろしいですか?

村井         直径が4ミリ以下の精密スプリングを製造販売している会社になります。今期45期目というところでがんばっているところです。主に家電、スイッチ、電子デバイス関係とか、そういう細かいところもアレなんですけども、最近は太モノというちょっと大きなジャンルもやっております。

enmono   今、こちらの方に地図が出ておりますが、世界に何ヶ所工場をお持ちなんですか?

村井         タイに今2拠点、ベトナムのハノイ、インドネシアのジャカルタということで3ヶ国に進出しております。

enmono   素晴らしい。

村井         ありがとうございます。

enmono   海外工場はすべてご親族が経営されているということで。

村井         そうですね。男三兄弟の私長男坊なんですけども、真ん中がベトナムを起ちあげた後インドネシア、一番下がタイ。今ベトナムを見ているのが、ここで現場で働いていた者です。

enmono   全社員合わせると今何名くらいなんですか?

村井         700名くらい。

enmono   すごい大所帯ですね。全グループで700名ということですね。日本だけだと何名ですか?

村井         日本はここの横浜本社と山梨でGSKという会社がありまして、合わせて50名ですね。

enmono   超大企業ですね。

村井         一応町工場という……。

enmono   いえいえ700名の町工場ってなかなかいないと思うんですけど。

●五光発條の軌跡

enmono   創業はお父様?

村井         そうですね。父が創業いたしまして、一回叔父が入って、自分が三代目になります。

enmono   なるほど。その45年の歴史をちょっと振り返ってみたいと思うんですが、どういうところからお父様はバネを作ろうと思われたんですかね。

村井         もともと北海道から大学で上京しまして、就職先を探していたんですが、ざる蕎麦の食べ方がわからなくて、ざる蕎麦につゆをそのままかけたら下からバーッとこぼれてしまったのがきっかけで、「面白いな。何しに来たんだ?」とバネ屋の人に話しかけられたそうです。

村井         それで「おまえ就職試験受けてみたら?」と誘われ、これも縁だからとバネ屋さんの就職試験を受けたらしいんですけど、その試験で全部(回答を)書けなかったので、半分くらいのところで全部消したらしいんですよ。どうせ書けないから0点でいいやと出したんですけど、結局その時受かったのが東大生の満点の人と、0点の父が受かりまして。

enmono   その中間の人は受からなかったんですか?

村井         そうです。2名だけしか採らなかったらしいんですけど、それがご縁で小松ばね工業さんという天皇陛下も見えられたような素晴らしい会社に勤めさせていただきまして。

enmono   どうして採用してくれたんでしょう?

村井         なんか「面白い」「可能性がある」ということだったみたいですけど(笑)。上と下だけを採るという、そういう面白い人と知り合えたと。

enmono   社長も面白い人だったんですか?

村井         社長ではなくて面接官の中の一人と知り合ったみたいなんですけど。10年間、小松さんでやらせてもらえれば骨を埋めて働きますという話だったんですけど、10年目にこの五光発條を起業しまして、その時5人で起ちあげたみたいなんですけども、みんな希望の光になれますようにということで五光発條という名前で始めたようです。

enmono   最初は(製品を)どういったところへ納められてたんですか?

村井         元々ラジオとかのボリュームバネといってボリュームのつまみのところに使われているバネを主に生産していたみたいですね。5人の内の1人が地主さんで、馬小屋の跡地にあったプレハブを使っていいよということで、屋根しかないようなところに機械を持ちこんで、みんな上半身裸で夏場なんか上に水をかけてやっているような写真が残っていましたけど。

村井         そこに某有名大手さんが営業に来てくれたんですけど、「壁ができるようになったらもう一回来なさい。ただ図面は置いてくよ」ということで。その2年後くらいに、こちらの旧工場の方に移転して改めてご挨拶に行きまして取引をさせてもらってます。

enmono   2年間なんとか生き延びたんですね。お父様は相当生命力に溢れた……。

村井         そういうことです。その時置いてってくれたのがカメラ業界の方だったんですけど、それでカメラが昔の銀塩の時にはかなり点数使われていたので、今のデジカメの3倍~4倍くらい色んなところに全部バネだったんですね。開けたり、中でフィルムを巻いたり、押すところからズームのところまで、40~50点くらい使われていたので、そこをやらせていただきました。

enmono   ガンガンと業績が伸びていって……。

村井         その時、いわゆる孫請けとかではなく直接お客さんの方にやりましょうということを掲げてやっていたので、そういう意味では営業力も強かったのかなと思います。

enmono   じゃあカメラ産業が伸びると同時に五光発條さんも成長していったと。何年くらいまで業績が伸び続けたんですか?

村井         1998年くらいですかね。

enmono   あ、結構……そこまでずっと成長が続いていたんですね。

村井         だいたい右肩あがりでしたね。

enmono   その後で転換点があったんですか?

村井         その前から翳りは見えていたんですよ。90年代以降数が多くなると海外へ行ってしまう傾向が見えていたので、そのうち海外へ移管してしまうんじゃないかなと不安になる要素はいっぱいありました。結構量産モノをやる体制を整えていたので。

enmono   98年を越えて、色んな悩みが来て、みたいな感じですよね。

村井         そうですね。

enmono   その後になんとかショックみたいのが来て。

村井         すぐには直接は来なかったんですよね。半年遅れくらいでウチの業界にも、お得意さんからの受注がガクンと思いっきり減りまして、「あ、ほんとになんとかショックってあるんだな」ということが感じられましたね。

enmono   我々と巡り会う前に自社商品開発を試みたそうですが、それは何年くらいから?

村井         自分がタイへ行って戻ってからだったので、2004~2005年くらいかな。そのくらいに、何かバネ以外の国内に残りそうな職種か、もしくはバネを作るのであれば付加価値をつけた何かじゃないと、国内ではなかなかモノづくりは難しいんじゃないかなというのは感じていたので、ちょっとチャレンジしてみようよという部署とか雰囲気とか係とかはあったんですよ。

enmono   係?

村井         開発係。まぁ2人なんですけど(笑)。

enmono   確か我々とお会いしたのが……。

enmono(宇都宮)   2012年。

enmono   なにがきっかけでしたっけ?

村井         コマ大戦ですね。コマ大戦でお会いして、最初は「とりあえず自分でやってダメだったらちょっとお願いします」みたいな。まず基本、コンサルの人ってイヤじゃないですか。

enmono   いや、俺に言われてもわからない(笑)。

村井         特に町工場は難しいんですよね。費用面もそうですし、実際に効果といいますか、そういうところも大手さんと違って接する機会がなかったので、ましてや自社製品開発になると「うーん」というところもあったので、ある程度商品化のアイデアとしていくつも出ていたので、敢えてそういうコンサルの方を入れずにまずそこを進めていきたいじゃないですか。
村井         それをある程度やってみて、壁にぶち当たったり、やっぱりできないよとなれば、改めてそこで教えてもらうみたいなのが、なんとなく流れかなと思ったんですけど。

enmono(宇都宮)   2012年の段階ではまだ壁に当たっていなかったんですか?

村井         一応モノとかパッケージとかはなんとなくは作ってたので、あとはここから販売するためにはどうするんだ? という雰囲気ではあったので。

enmono(宇都宮)   (所在地が)横浜市ですから、何か支援とかもあったんじゃないですか?

村井         そちらを頼るという発想がなかったですね。

enmono(宇都宮)   助成金とか。デザイナーさんとコラボレーションするとかも?

村井         考えなかったですね。

enmono(宇都宮)   でも営業に来られたりするでしょう?

村井         いやいや来ないです。誰もウチを相手にしてくれないので。ひっそりとバネを作っていて表に出ていないので。バネを使ってくれている大手さんの資材の方は知ってくれてますけど。

enmono(宇都宮)   一切表に出ていなかったんですね。

村井         そうです。自分自身もまず出ないですし。

enmono(宇都宮)   何がきっかけになったんでしょう?

村井         自分が継いで、2月末決算なんですけど、3月1日から初めて自分が代取(代表取締役)で操業開始の時、2月中に各拠点から今年最高益が出る年度計画が出てきたんです。「いい時に継いだなー」と思った3月11日に東日本大震災が起きまして、タイに第3工場を建てて、それが車業界さんのために建てた工場だったんですけど、3・11のおかげでまた操業しなくなっちゃうんですよ。その年の9月には大洪水でタイの一番の稼ぎ頭である本社工場が3メートル浸水したという、すごいスタートだったんですね。
村井         それでもやれることをちゃんとやっていきながら営業利益を出しましょうという形で、色んな施策をやったんですね。そしたら結果は全拠点ちゃんと営業利益は出たんですよ。そしたらすごい優秀だっていうことに気づいたので、本当にこんな状況下でもみんな乗り越えていくんだということに、これは世界中にこの素晴らしい五光発條のみんなを知らせなきゃいけないなっていう使命に駆られまして。

enmono(宇都宮)   それが2011年末頃。

村井         そのためにSNSとかを使って、みんなに知らせていく活動をしようという、ちょっとオープンマインドの心になって、今まで業界の集まりとかに行くと結構目上の方とかがいて「昔は良かったな」という傷の舐め合いをするお年を召された方しかいなかったんですけど、あるきっかけで若い子たちが元気でやってる会があるよと言われて。

村井         そこに紹介で行った時に緑川さんとか落合さんとかとお会いして、その人たちがSNSを効果的に使って戦略をやっている人たちの代表だったので、ちょっと教えていただきたいなってお近づきになり、コマ大戦でモノづくり応援するよということで。

enmono(宇都宮)   第1回から出てましたもんね。

村井         そうですね。第1回目から無理矢理入れさせていただいたというのが経緯ですね。

●最初はなにを言っているのかわからなかった

enmono   我々の講座に入って、その時はどういう想いで、何を開発されたのでしょうか?

村井         それまでは何か声をかけられてもウチの活動には関係ないと断っていたんですけど、みんなに知ってもらおうという活動を始める時に、何か言われたらすべて受けるという志を立てて色々やっていたんですけど、enmonoさんだけは最初から最後まで「入ったらどう?」って言ってくれてないんですよ。自分には。「どうなんですか?」「はぁそうなんですか~」と言って帰っていくだけで。

村井         それでまた1ヶ月くらいしたら「ちょっとまた行っていいですか?」って言うから「いいですよ」って言って。「どうですか? あれから進みましたか?」「いやぁ、進まないんですよ」「はぁそうですか~」って帰っていくだけだったから。3回目に来た時に「もう負けました。入らせてください」って言って、」すげー、この人たちほんとに誘わないんだと思って

enmono(宇都宮)   誘いませんでしたっけ?

村井         一回も誘われなかったです。お二人には。

enmono   草食系なんです。

村井         でもその方がよかったと思います。その年は基本は「受ける」縛りをしてたので、言われていたら多分やっていたんだろうと思いますけど、三回目のまたそのまま去って行きそうな雰囲気の時に、それこそ縁なので是非やらせてくださいって。本当にでもよかったですよね。

村井         4期生自体もちょうど花の4期生がいてくれたんで。そこ以降は自分の反省点も踏まえながら、やっぱり国内に先行き困っている方がいて何か打破しようとしている人に出会ったら、自分の経験をもとに必ずenmonoさんの怪しい二人を紹介して、「絶対お薦めですよ」ということでやらせてもらってます。

enmono   ありがとうございます。その当時の講座は10回くらいあったと思うんですけど、途中までかなり苦戦していた感じがあるんですが。

村井         そういう意味だとずっと今も苦戦してるんですけど。

enmono   そんなことないですよ。

村井         わからないままだったので。

enmono   一番「うーん出ない。わからない、わからない」って言ってたじゃないですか。「なにを言っているのか意味がわからない」って仰ってましたよね。あれは本当にわからなかったんですか?

村井         裏読みをする癖がありまして。お二人が言っていることの、「こう言ったらこう来るから、じゃあ……こう来るよね」とか、なんとなく変な空回りをしていたので。先程お名前の挙がった4期生の藤澤さんに通訳していただいて「もっと素直に、普通に受け取ればいいんだよ」って。

enmono   裏の気持ちって一切ないので。

村井         (例えばお二人に)「本当にそう思います?」と言われた時も、「これ言われたら、こうだよね」みたいなのがあったんですけど

enmono   村井さんはあの中では一番追い詰められてた感じだったんですよね。「わかんないよ!」みたいな。

村井         だってわかんないんですもん。あの言葉が。

enmono   だけど第5回目か6回目で「思いつきました!」ってすごく喜んでいて、「なんなんですか?」「バネのブロックです」「あ、そうなんだ~」と。

enmono(宇都宮)   こっちがわからなかったですよね。

村井         あれも興奮して、本当に背中にヒョーッて走ったくらい、「うわ、すげぇ降りてきた!」っていうあの興奮をすごく一所懸命伝えて、みんなも聞いてはくれるんですけど結局わからないままで。で、興奮冷めやらないまま、絵に描けって言われたから書いたら皆さん余計わからなくて。会社戻って(社員に)「これを作ってくれればなんでもできるんだけど」と伝えたんですけど、やっぱりわからないんですよね。

村井         結局なんとか一人、コマ大戦で絡めた社員を抱え込んで、(その当時タイの)洪水なんかがあって本業の方が儲からないんだけど、お客さんを困らせないように国内で作ってまた送るなどしながらのさなかに「こういうの作って」って訳のわからないヤツを所望してたので、不穏な雰囲気だったんですけど。ただ、できたヤツを組み合わせて、ちょうど三木さんに「なに作ったらいいですかね」と言ったら「めでたいから鯛でいいんじゃない?」って。

enmono(宇都宮)   かなりいい加減に(笑)。

村井         結構即答で言うんですよね。質問とか困ったりして相談すると、「ん? 龍でいいんじゃない?」とか。

●クラウドファンディングで会社のみんなを知ってもらえた
enmono   多分ご覧になっている方はこれがなんなのかわからないと思うので、具体的に説明をお願いしてもいいですか? 果物シリーズとかがわかりやすいですかね。

村井         これがパイナップルに見えるかどうかなんですけども。要はレゴのバネ版。想像を形にする時に、今まで金属で表現するには結構特殊な機械とか何かでなければできなかったんですけど、これはただ突き刺すだけで自由自在になんでも表現できるという画期的なブロックなんです。

村井         バネの技術を使っているんですけど、ただ穴に嵌めていくだけなんですね。ポイントはジョイントパーツっていう差しこむヤツが、2個まで入るので、1個でも2個でも入るので例えばT字型だったりすると裏表にしてくっつけるとクロス状になって奥行きができたりするんですけど、口で言っても多分わからないので、買っていただいてよく見てもらうところから(笑)。

 

enmono   この1個1個のバネがジョイントパーツで繋がっている。

 

村井         そうです。(くっついている状態から引っ張ると)バネが伸びきる前に外れるんですけど、通常のアタリではぐっちゃぐちゃにしても金属製で強いので戻るような感じですね。

enmono   今まではこのジョイントパーツというのを作ったことがなかったんですよね。

村井         もちろん、そうですね。

enmono   バネのみだった。

村井         バネもこれ用に開発しているので、結局は全部これ用のものなんですけど。

enmono   バネ自体は今までの技術の延長ということですよね。

村井         そうです。

enmono   というものを講座の中で思いつかれて、で、僕らも何を言っているのかわからなくて。結構短い時間で試作品を作ってきましたよね。2週間くらい。「できました」ってメールで来たんですよ。Facebookの中ですごいとなって、次の回から持ってきてもらったんですよね。

村井         でも発表の時ですよね、本当に「大陽」を持ってきたのは。それまではバラバラのパーツ状態のヤツを「なんでもできるんですよ」と発表したんですけど、こっちの気持ちが全然伝わってないから「どういうことだろう?」って(笑)。それで大陽を「こんなんできました」って見せたら、「うおおお!」って感想を得たんですけど。

enmono   その後でこの龍神様も作られまして。1ヶ月半くらいでしたっけ?

村井         一応1ヶ月くらいなんですけど、1日に20時間だったので、これ普通の人じゃ作れないですね。もう、ロキソニン入りの湿布で全身やりながら。上に持ち上げているだけでもつらいじゃないですか。だから寝っ転がりながら。食うのと寝るの以外はずっと作ってる感じで。

enmono   神様が宿ってるんですね。

村井         そうだといいですけどね。

enmono(宇都宮)   出版イベントの時に「出してくれ」って無茶振りしたんでしたっけ? じゃあ龍神様でって言ったんですよね。

村井         そうです。で、これが今のものと違って、材料の直径が太いんですよ。痛くて硬いので他の人に振れないんですよね。だからこの時は治具に入れてペンチで嵌めていくような作業で作ったヤツを組み立てていたので、見ると本当に痛いんですよ、全身が。だから現行品で作ったらどうなのかなぁ、もっと動きが滑らかになっていいんじゃないかと思うんですけど。

enmono(宇都宮)   じゃあまた作ってください。

村井         (笑)。

enmono   この龍神様は見事ですよね。なんとここに爪があって、しかもこれ珠を持っているんですね。

村井         口とかを柔らかく動かせるのがプラスティックのブロックとは違って。バネ性を利用した作品を作れるといいと思うんですけどね。

enmono   奉納したいくらいですよね。

村井         ありがとうございます。熱にも強いので、火とか吐かせたいですよね。

enmono   村井さんの情熱はどこから来るんですか?

村井         いやぁenmonoさんのおかげじゃないですか?

enmono   いやいや。

村井         でもそれは本当にenmonoさんに感謝しているところなんですけども、結局「手っ取り早くなんかできるヤツでいいや」というのがあったんですけど、「いやそうじゃないよ」と。「本当に欲しいものを。もっと内側を見て」ということになったので、これは誰よりも自分が作りたかったものですから。本当は今でも作りたいです。

enmono   この龍神様とかをやった後に、クラウドファンディングに挑戦したんですね。

村井         はい。

enmono   結構大変でしたか?

村井         大変でしたね。本当にあのー……大変でしたね(笑)。何が大変かっていうと、元々認知度がないので、本当に欲しい人にこれが届くかといったらその当時は届かなかったかなというのが一つあります。
村井         クラウドファンディング自体はこれから絶対に必要とされる手段ですし、100%達成しているのはenmonoさんだけなので、今後も期待してますし、チャレンジしていきたいなとは思いますけど、なんか己の今までの生き様を問われているくらい悶々とした日々でしたね。

enmono   クラウドファンディングの後に起きたことを教えてください。

村井         おかげさまで達成できたので、そこから実際にモノを作って、まず対価として送っていって、販売ですよね。問屋さんが入ってくれたので。東急ハンズさんとか有名なところに置いていただいたりとか。

enmono   それはクラウドファンディングがきっかけになったんでしょうか?

村井         そうですね。クラウドファンディングに合わせてプレスリリースをした部分もあったので。そういうのの派生の中で取り上げていただいた。バネ屋として初めてクラウドファンディングを使って、そういう新しい自社製品化を起こしていくという内容で、その時期はかなり記事にしていただいたので。それのおかげで五光発條のみんなのことをも広く世間に知っていただいたので。

後編へ続きます。

 https://zenmono.jp/story/272


 

 


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